2025年2月12日水曜日

第6回 第1変奏曲から第6変奏曲まで


 前回紹介したように、変奏曲は3曲ずつワンセットになっており、

第1番目(第1変奏、4、7、10〜)が主に舞曲系で輪郭のしっかりとしたリアな性格の変奏曲、

第2番目(2、5、8、11〜)が2段鍵盤を駆使した技巧的な変奏曲、

第3番目(3、6、9、12〜)が同度音程から9度音程まで拡大する9つのカノンの変奏曲となっている。

 実際にこれから各変奏曲を見ていくことにしよう。

1    第1変奏曲から第3変奏曲

(1)第1変奏曲

 長大な変奏曲の第1グループの第1曲目となる第1変奏。1955年のグレン・グールドの快速なテンポ、それ以前のワンダ・ランドフスカの悠然たる遅いテンポなど、解釈は様々だが、明らかにイタリア風コレンテまたはポーランド風のポロネーズ。快速なテンポの舞曲。

【譜例1】第一変奏曲冒頭バスの10度跳躍に注目
 冒頭バスの10度の跳躍でこの変奏曲が低音主題の変奏だということを明確に示し【譜例1参照】
  
             

譜例2】5小節目から。
譜例1の上下が入れ替わっている。
 さらに5小節目からは右左入れ替わり【譜例2参照】、しかもこの左手各小節の頭の音がバス主題を示している、という手の込んだ変奏を行 
                      なっている。
      
 かつ右手は冒頭4小節のバス主題の模倣で、両手とも上行型となり、冒頭4小節とのコントラストを鮮やかに描いており、ここだけでもバッハの変奏の発想の見事さがよく伝わってくる。

 これは続く8小節でも全く同じ技法でバス主題を再現しており、技術的には両手交差が登場する。第1変奏の華やかな開始、そして低音主題の変奏の提示という2つの作業を見事に達成している。


【譜例3】赤枠が21小節以降
 後半21小節から現れる即興的な経過句の効果は抜群で、この変奏曲が速めのテンポであることを示唆している。

【譜例3参照】


 

【譜例4】一例、赤矢印で示した声部。
上声部ではDC-CH
下の声部ではED-DCと動いている。
 また、楽譜上は2声だが随所に分割書法による3声部を表現しており、特に最後3小節ではそれを更に明確化させ、3声体である第2変奏曲への橋渡しの役割を与えている【譜例4参照】

 

 立体感のあるバッハならではの作曲技法で、楽想が単調にならない。

この第1変奏曲での様々な技法は、これ以降の各変奏曲の土台となっていく。

 なお、シュミート版では末尾にフェルマータが付いている。次の変奏曲とは続けて演奏しないという指示の可能性がある。


(2)第2変奏曲



【譜例5】第2変奏曲
 続く第2変奏は3声体でトリオソナタ風の変奏曲。

 管楽器風とも弦楽器風とも言えるフレーズが、2拍目と次の小節の1拍目がタイで結ばれている。また5小節からは1拍目と2拍目がタイで結ばれているために、拍の頭を強調する第1変奏曲と違って柔らかな雰囲気を醸し出している。

 左手バスも第1変奏とはガラリと雰囲気を変えて、順次進行主体の滑らかな歩みが主体となっている。

 全体構想から言えば、この第2変奏曲は2段鍵盤用の技巧的な変奏になるはずだが、そうならなかった理由はよくわからないが、次の第2グループの第2番目の第5変奏曲を見ると、いきなり2段鍵盤用変奏をここで始めるよりはもう少し指慣らしを、と言うバッハの演奏者への配慮があったのかもしれない。

 最後4小節でバスが16分音符で動き始め、曲想を盛り上げて終わる。

 

 この変奏曲で初めてスラー(9と11小節)が登場するが、そのスラーの解釈が各版で異なる。


【譜例6】シュミート版9,11小節スラーの位置
 シュミート版ではスラーのかかる長さが16音符3つ分【譜例6参照】。

                                                     

【譜例7】ヘンレ旧版、新版も同じ
 ヘンレ版の旧版・新版ともシュミート
版と同じ場所にスラーを付けている。

【譜例7参照】





【譜例8】新バッハ全集版、ウィーン原典版も同じ

 新バッハ全集版、ウィーン原典版は16分音符4つにスラーがかかっている。

【譜例8参照】

 

 たかがスラー16分音符一個分、大した違いはないだろう、と思われがちだが、アーティキュレーションで表現をするチェンバロや弦管楽器ではこの違いは大きい。この違いについての言及は新バッハ全集版とウィーン原典版には説明がない。

 シュミート版では末尾にフェルマータはない。次にフェルマータが登場するのは第5変奏曲の末尾。それまで続けて演奏しなさい、という指示かもしれない。


(3)第3変奏曲

【譜例9】第3変奏
 第3変奏は同度のカノン。同じ旋律が1小節遅れて模倣をする。

 左手バスが3小節目から16音符で動き出し、これはバスが同時にバス主題を変奏するという凄技。明らかにヴィオラ•ダ•ガンバやチェロの低音弦楽器をイメージしている。

 拍子は8/12で、一拍が3の倍数系となり音符の数が増える。2×3、3×2などの様々なアーティキュレーションで演奏することが可能となり、更に表現の幅を大幅に広げている。小節数が半分となるが、1小節8/6拍子単位でバスが進行するのでバス主題は全て登場する。



2 第4変奏曲〜第6変奏曲


  ここから第2グループへと進む。


(1)第4変奏曲


【譜例10】第4変奏
 第4変奏はこの3の倍数系の8/3拍子の活発で飛び跳ねるような舞曲。

 冒頭右手の8分音符2つのモティーフにより変奏曲は構成されており、ベートーヴェンが好みそうな主題労作風の凝縮された傑作変奏曲。


譜例11】シュミート版、シャープがない。
 32小節の最後のCにシャープはシュミート版にも同修正版にもついていない。【譜例11参照】



【譜例12】新バッハ全集版。シャープがある。
ところが新バッハ全集版とウィーン原典版ではC♯となっている【譜例12
参照】ウィーン原典版の注釈では「第16小節に
【譜例13】新バッハ全集版、16小節。
ならって補足された。」とある。
第16小節は明らかにドミナントであるDdurで一旦終止。他のヘンレ新旧版はシュミート版と同じである。第32小節は明らかに主調であるG dur。
 シュミート版のとおりシャープは必要なさそうだが、さてどうだろうか。バッハが修正し忘れたとは思えないが。
 シュミート版では、末尾にフェルマータはない。

(2)第5変奏曲   
      
【譜例14】第5変奏曲
 第5変奏曲は2段鍵盤チェンバロのための変奏曲が満を侍して登場する。 とは言いながらも、楽譜の指示を見ると、1段または2段鍵盤で、とある。従って、まだバッハはここで1段鍵盤でも演奏できる技術的要素を残している。 4/3拍子だが、主体は一拍が16分音符4つの2の倍数系なので雰囲気が前の2つの変奏曲とは違う。

【譜例15】第5変奏曲後半の
様々な16分音符の音型
 冒頭左手が跳躍音程の派手な動きをするが、同じ鍵盤上での両手の交差は無い。この変奏曲に限らず、上下どちらの鍵盤をどちらの手で演奏するかは演奏者の考え方次第だ。
 全ての小節は16分音符によるモティーフにより埋め尽くされているが、順次進行による音階の動きの単旋律と、分割書法による多声部的動きとが交互に現れ、16分音符の多様な表情が特徴【譜例15】。


 この変奏曲をグレン•グールドは恐るべき速さで一気呵成に演奏する。しかも当然ピアノだから鍵盤は一つで、両手の交差がある。1981年の2回目の録音時は映像も収録していて、その見事な妙技を見ることができる。演奏は素晴らしい。単に速いだけだと他にも弾けるピアニストはたくさんいるが、彼のはよく歌い、流れるように美しい。

 当然チェンバロではこの速さでは演奏できないし、ピアニストでもグールド以外誰もこのテンポで音楽的に美しく演奏することはできないだろう。


 何よりもチェンバロでは16分音符の多彩なアーティキュレーションが表現できない。ここで小林道夫氏の名言を紹介しておこう。「ピアノと違って、チェンバロで速く演奏することは何も偉いことではないのです」

 

 シュミート版では末尾にフェルマータがある。第2変奏からこの第5変奏曲まで続けて演奏し、ここで一息つく、と言うのは一理ありそうだ。



(3)第6変奏曲

 第6変奏曲【譜例16参照】は地味な2声のカノン。再び三の倍数系の8/3拍子。2声のカノンゆえ、バッハは2度音程のぶつかり合いを楽しむように多用しており、当然ぶつかり合いの次にはその解決があるわけで、その繰り返しが面白い。音響的には各声部の距離が近く、密集的響きがするのが特徴。前後の開離的音響の変奏曲とのコントラストが明確だ。 
 
【譜例16】第6変奏曲



【譜例17】24小節目Gに♯が付いている。
【譜例18】新バッハ版にGの♯は無い。

 24小節右手のG♯はシュミート版【譜例17】、ヘンレ新旧版に見られるが、新バッハ【譜例18】、ウィーン原典版には無い。その理由は書かれていない。もちろんG♯が正確だろう。シュミート版では末尾にフェルマータはない。


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